image1image2image3昨日の不発弾処理の現場を改めて確認に行ってきました。避難所でお会いした方のご自宅を訪ねると、親切に現地を案内してくださいました。驚いたことに発見現場の下水道工事箇所と処理の現場はいずれもこの方の住まいの目の前。奥さまは「せめてもう少し遠くで処理してくれたら」と眠れぬ日々だったそうです。「恐らく今回の焼夷弾は六角形のもので細い管を束にしたようなものだと思うが、女房にはあんまり心配せんでよか、と言うてはおきました。」とはこの方の弁。随分、焼夷弾に詳しいのでお尋ねすると、この方は昭和20年7月1日の熊本空襲の体験者で、当時中学1年生だったそうです。その空襲で自宅を焼かれ、後日、前庭からも不発弾が見つかったことなどを生々しくお話ししてくださいました。この方にとっては実に3度目の焼夷弾体験ということになります。「自衛隊さんにはほんなこつ感謝しとります。」と言われOBとして胸が熱くなりました。周囲の閑静な住宅街を眺めながら、その地下に戦後の脅威がいまだに眠っていることを

肌で感じた次第です。黒々と積み上げられた土嚢の跡が大きな作戦終了の記念碑のようでもありました。