4月4日(日)、健軍文化ホールにて「光永くにやすを激励する会」を開催いたしました。
衆議院議員木原稔先生、前西部方面総監宮下寿広様をはじめ、多くの方々から激励の言葉をいただき、身の引き締まる思いです。
日曜の夜にもかかわらず、たくさんの皆様にお集まりいただきました。本当にありがとうございました。
熊本市市会議員選挙、最後まで全力で戦い抜きます。皆様方の応援宜しくお願いします。

決意表明
みなさん、こんばんは
熊本市議会議員として東区より立候補しました光永邦保です。
そして妻の光永季子です。
どうぞ宜しくお願いします。
本日はお忙しい中、このようにたくさんの皆様にお集まりいただき心より感謝申し上げます。
ただいまは衆議院議員木原稔先生、前西部方面総監宮下寿広様から激励の言葉をいただきました。身の引き締まる思いです。本当にありがとうございました。また冒頭でご紹介したトランペットの鳥濱さんとノルディックウォーキングの東原さんは私が最も尊敬する人生の先輩として来ていただきました。そして司会進行の加治屋くん、金澤さんの両名は熊本の観光振興の若き担い手を紹介したくて来ていただきました。今日の企画進行の全てをお任せしております。

私は健軍の地で生まれ育ち、36年間に亘る陸上自衛官の勤務を経て、再びふるさと熊本に帰って参りました。
退官後は熊本城城彩苑湧々座において勤務し、日本人はもちろん外国からのお客様とも接しながら熊本の歴史文化を広めて参りました。

熊本には熊本を離れてこそ分かる良さがあります。古い歴史を知って初めてわかる土地の素顔があります。
これらを糧にしてふるさとづくりの三つの柱をまとめました。
 安全安心なまちづくり
観光とおもてなしのまちづくり
文化と歴史に触れ合う心豊かなまちづくり

すでに数多くの印刷物で紹介し、ホームページにも詳しく出しておりますのでご覧下さい。
今日ご紹介したいのはそれとは全く別の私の母のエピソードです。母は昭和7年生まれ。まだまだ元気です。
私が済済黌から防衛大学校へ進むことが決まった時、両親ともに大変喜んでくれまして、自宅で大宴会をやりました。父を初め集まった父の友人たちからは肩を叩かれ頭を押さえつけられ「頑張ってこい」と激励された訳です。そんな中で、母が台所に呼んで私にこう言いました。
「何かおきた時には、すぐに自衛隊を辞めて帰ってきなさい。」
とこう言ったんですね。これには参りました。せっかく決心をして自衛官になろうとしてるのに。
しかし、この母の言葉は不思議と心に残り、自衛官として部下を持つようになってもこの言葉が蘇るようになりました。この隊員のお母さんも恐らくそう思っているんだろうな、と。
自衛隊のヘリコプターが山の中に墜落して隊員が亡くなっても「民家に落ちなくて良かった」という住民のコメントだけが流れることがあります。
火山性ガスを吸うと人間は1分ともちません。あの御嶽山の噴火における救助活動には胸が締め付けられるようでした。
こういうことをさせるなというつもりは毛頭ありません。
自衛官の命も等しく尊いということ、隊員を気遣う両親、家族、子供たちがいることを分かってほしい。これを伝えていくことが私の大きな役割ではないかと思っています。
選挙戦も残り一週間となりました。
最後まで全力で戦い抜きます。
応援宜しくお願いします。
本日はありがとうございました。


 

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