IMG_9672IMG_9673IMG_9674宮古島西端の久松地区に「久松五勇士」という碑があります。これは1905年、宮古島東方から日本本土に向け北上する露バルチック艦隊を発見した5人の漁師のことです。当時、宮古島には電信施設がなく知らせる術がないため、5人は手漕ぎの舟を一昼夜170km漕いで石垣島の通信所に渡り「敵艦発見」の打電に成功。その後の連合艦隊の大勝利に大きく貢献したというものです。
実はこの事実が世間に知られたのは昭和初期のことで、それ以降沖縄県知事から顕彰され、1966年に現在の記念碑が建立されました。いまでも顕彰行事が続いているそうです。
普通の国民が国の一大事に命懸けで行動する気概は、日本人固有のものでしょうか、それとも当時の教育で培われたものでしょうか?
秋山真之の「敵艦見ユ」しか知らなかった私は大変衝撃を受けました。
そのまま命名されたお菓子を空港で発見し、早速買って帰りました。